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その街はどこにあるのか。
アジアの都市か、ヨーロッパの都市かもしれない。
風景からかろうじてわかるのは現代の大都市であるということだった。

かつて随筆と呼ばれたものは、今では小さな光の中に無数に収められている。

その人は家に向かっていた。
夜の歩道に咲く花は街から漏れたかすかな光を浴びていた。
まるで昼にはなかった意識を見せつけるかのように闇の中で色を放っていた。

玄関の鍵を回すと、ブロンズのドアが開くよりもわずかに早く、部屋の中を漂う夜の空気が動いた。

家は人が記憶している場所ではなく、家のほうが人を記憶している。
誰かがそんな話をしていたことを思い出した。
花瓶にいけたマリーゴールドが少し驚いたような顔をこちらに向けている。

机上に置いたiPhoneを開くと、誰かの日記がメモに残っていた。
日記には日付はなく、日々の断片のようなものが並んでいた。

「知らない家の夢を見た」

その人にはこのテキストを入力した記憶がなかった。
夢を見た記憶もなかった。
画面の中でカーソルが一度だけ消え、新しいテキストが現れた。

「ストロベリーの絵と、白と黒のタイル」
「黒い歯ブラシに、黄色の歯磨き粉」
「黄色のマカロンと、牧神の午後への前奏曲」

自分の家の様子が書かれている理由が、その人には分からなかった。

「その人は顔を上げた」

その人は顔を上げた。

この部屋は記憶されている。
いったい誰に記憶されているのだろうか。

日記の持ち主が誰かはわからない。
その人は、一行だけ、日記の続きを書いてみた。

「あなたの家を、私は知っている気がする」

部屋は静かだった。
目を閉じるとどこかで水が流れている音がしたが、それは聞き覚えのある音楽の断片のような気もする。

しばらくすると、返事が現れた。
「私もこの家に帰ったことがある」

じっと見ていると、またカーソルが動いた
「今、あなたの家にいる」

その人は部屋を見渡した。
家具も、窓も、壁の絵も、何も変わったところはない。
水音のように聞こえた音の粒は、静かに輪郭を帯びて今は音楽になりつつあるのを感じる。

突然、部屋の電気が消え、iPhoneの光も静かに消えた。
真っ暗になった画面から、金色の光の記号が飛び出し宙に灯った。

その光は、アンティークショップで見たエジソンランプを思い出させた。
記号は、今日持っていたバッグの記号と同じ形をしている。

光を眺めていると、その人は途端に眠くなってきた。
寝室のベッドで横になり、目を閉じると、意識から無意識の境界へと落ちていく。

ないはずの古いダイヤル式の電話のベルが遠くで鳴っているのが聞こえた。
身体は鉛のように重く感じ、思うように動かせなかった。

少し遅れて、壁から床から天井から、音楽が聞こえてきた。
よく耳を澄ませていないと聞き逃してしまうほどのボリュームだが、既にはっきりして形を帯びている。

寝室のドアは閉じたままだが、すっと誰かが部屋に入ってきた気配がした。
かろうじて目をあけると、窓から金色の光の記号がきらきらと星のように入ってくるのが見えた。
光は壁に、その人に似た影を映していた。

家は何も言わなかった。
それを私は日記に残した。

Photography by Tsukasa Kudo